かまくら(北鎌倉~鎌倉) [kamakura]
鎌倉市内の学校に通っていたにもかかわらず
昨年、鎌倉検定3級に合格したにもかかわらず
鎌倉五山すら全部行ったことがなかった misuke-yotaです
ってことで、経験値をあげていきましょう
■甘露の井
鎌倉十井の1つ
浄智寺の総門横、石橋の脇にある
ここの水は蜜のように甘く、不老不死の効能があると言われた
■浄智寺(山之内) 臨済宗
鎌倉五山第四位
北条時宗(5代執権)の三男宗政の菩提を弔うため、
宗政の子師時(10代執権)が創建創建
開山には3人の名前がある
はじめに開山に招かれた 南洲宏海
南洲宏海の師である 大休正念
大休正念の師である 兀菴普寧
室町時代には方丈、書院、法堂などや、多くの塔頭があった
当時の伽藍は1356年の火災で焼失
江戸時代後期ごろには再建された建物があったが関東大震災で失う
現在ある鐘楼門(二階に花頭窓のある唐様の鐘楼門)は珍しいもの
↑写真撮り忘れた。。。
本尊 木造三世仏坐像(室町時代)
仏殿に祀られている三体の仏像
向かって左から 阿弥陀、釈迦、弥勒 の各如来
この中にご本尊が祀られていました
花
コウヤマキ(鎌倉一の大きさ)
ビャクシン
シャガ(5月)
ハクウンボク
タチヒガンザクラ
ロウバイ(1月)
ミツマタ(3月)
キキョウ(6月)
境内奥に弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊が祀られていました
お腹を撫でるといいらしいです(お腹の色変わってるしー)
国指定史跡
■明月院(山之内) 臨済宗
平治の乱で戦死した首藤形部大輔俊道の菩提を弔うため
俊道の子、山之内經俊により創建された明月庵が起源
その後、北条時宗が禅興寺を創建、開山は蘭渓道隆
足利氏満から中興の命を受けた上杉憲方により寺域が拡大、関東十刹の一位となる
明治の神仏分離により廃寺となり、明月院だけが残った
開山堂横にあるやぐらの中には上杉憲方の墓といわれるものがある
市内で現存するやぐらでは最大のもの
花
アジサイ(6月) 「紫陽花寺」として有名
ハナショウブ(6月) 本堂裏にあり、開花時期には特別公開される
(本堂裏は紅葉の時期にも特別公開がある)
方丈(本堂)の丸窓から裏庭が見えるんだけど…
今回は行かず、外からみるだけ ↓こんな感じ
■瓶の井(甕の井)
鎌倉十井の1つ
明月院境内にあり、現在も使用されている
■建長寺(山之内) 臨済宗
(世界遺産への登録を目指している国指定史跡)
臨済宗建長寺派大本山
鎌倉五山第一位
山号は巨福山(巨福呂坂から)
開山 蘭渓道隆(大覚禅師:後醍醐天皇から日本発の禅師号を受ける)
5代執権北条時頼が招いて建長5年(1252年)に開く
日本で最初の禅専門道場の禅寺
地獄谷と呼ばれた刑場の跡地に建てられた
蘭渓道隆自筆の指導書「法語規則」が国宝として残る
総門を入ると重要な建物が一直線上に並んでいる
三門(国重文) 楼上に五百羅漢などを安置した門
(三門)
仏殿(国重文) 本尊:地蔵菩薩
法堂(国重文) 儀式法要を行う場所
唐門(国重文)
建長寺の建築法が日本の禅寺の元となっている
現存する建物は江戸時代に沢庵和尚の進言によって再建、復興されたもの
梵鐘(国宝)
三門右手の鐘楼にある
1255(建長7)年に5代執権北条時頼が寄進
蘭渓道隆による建長禅寺の銘文が浮き彫りにされている
物部重光による鋳造
重さ2.7トン
庭園(国指定名勝)
蘭渓道隆作の庭
日本の禅宗庭園の源
半僧坊
裏山の中腹に、建長寺の鎮守である半僧坊大権現が祀られている
毎月17日に祭礼
西来庵 (一般非公開)
建長寺塔頭
昭堂(国重文)、開山堂、専門道場からなる
開山堂の背後に 蘭渓道隆の墓、円覚寺開山の無学祖元の墓がある
花
サクラ(4月) 参道、半僧坊道
ボタン(4月) 創建750年記念整備により本堂前庭、西来庵参道
ビャクシン 蘭渓道隆が宋から種を持ってきたと伝えられる7本の巨木
祭り・行事
7月15日 三門梶原施餓鬼会
三門の下に一山の僧侶が集まり施餓鬼会を行った後、
梶原景時の霊を弔うために再度施餓鬼会を行うしきたりがある
8月23・24日 開山忌
仏殿に一山の僧侶が集まって宋朝様式の大法要が行われる
大覚禅師坐像が輿に乗せられ法堂に遷される
翌日にも法要、万人施餓鬼会が行われ、前日の逆周りで禅師の像が仏殿に戻される
11月3日を含む3日間 宝物風入れ
年一回虫干しをかねて一般公開(有料)
これでやっと鎌倉五山全部に行ったー!!
でも第一位に行くのが最後って…(^-^;
前を通ったことは徒歩でも車でも数え切れないくらいあるのにね
(あ、でも勉強始めてから円覚寺に行ってない!)
■金龍水
鎌倉五名水の1つ
建長寺門前にあった(道路拡張工事のため埋められた)
歩道の敷石に跡が示されている←見るの忘れた!
徳川光圀の「鎌倉日記」にも存在が記されている
■不老水(仙水、仙人水)
鎌倉五名水の1つ
建長寺境内、鎌倉学園の運動場近辺と言われているが詳細不明
この水を飲んでいた仙人はいつまでも若く年を取らなかったといわれる
■圓應寺(山之内) 臨済宗 建長寺境外塔頭
死後に会う十王を祀っているため十王堂とも呼ばれる
本尊 木造閻魔大王坐像(運慶作)
運慶が笑いながら彫ったため像も笑っているように見えるとのことで
「笑い閻魔」とも呼ばれる
この一番奥に閻魔大王像があります
■鉄の井
鎌倉十井の1つ
小町通りの北端、鶴岡八幡宮近くにある
どんな時でも水が涸れたことがないといわれる
井戸を掘った時に鉄でできた観音像の頭が出てきたことから鉄の井
江戸時代までは向かい側に観音像の頭を安置した鉄観音堂があったが
廃仏毀釈により取り壊された
観音像の頭は東京人形町の大観音寺の本尊となっている
このあと、小町通を通って鎌倉駅まで行ったのですが・・・
さすがGW、混んでたーーー(人ごみの写真撮ればよかった)
近いんだからもっと空いている日に行こう
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